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「夢に向かって挑戦したい!」 夢を追う40代サラリーマンのためのリアルなブログ

脳の世界は、知ってる言葉の数だけ豊かになる

ある晴れた夏の山道でのこと。家族で海に向かう途中のできごとだ。

助手席には妻が、気持ちよさそうに居眠りしている。
後部座席には小学5年と中学2年の息子たち。さっきまでうるさく騒いでいたが、今はお菓子のために口が使用中となったようだ。

あとひと山越えると、海が見えてくる。
くねくね曲がった道に沿って車を走らせていると、日の陰った林の中に突入した。

木々の間から時折差し込む光が心地いい。
車の速度はそれほど早くはない。それでも日向と日陰の切り替わりはせわしなく、世界がきらきら輝いているように感じられる。

小学5年生の息子が座っている。

「なんか、暗くなったり眩しくなったり、この道嫌や」

わたしとはまったく逆の意見をいってきたのは、小学5年の息子だ。

「そうかぁ? キラキラして気持ちいいやん。空気が澄んでるようで心地いいと思わへん?」
と、声変わりをした中2が答える。わたしも同感だ。

「え~なにそれ、目がチカチカして嫌やん」

「眠いの?」

「眠くな~い」

こんな会話が流れていた。

「『木漏れ日』って言葉知ってる?」
わたしは後部座席に問いかけた。

「なにそれ~」と小5の高い声

「知ってるよ」と中2の低い声


「お兄ちゃん、教えてあげて」と、説明は中2の息子に任せた。

中2の息子は普段からよく本を読む。だからなのか、それとも学校で習ったのか、いずれにしても「日本人の独特な表現」であるという説明を漏らさず、弟に教えていた。
親バカかもしれないが、なかなか教養の感じられる説明っプリだった。英語、社会、そして体育は苦手なようだが。

息子の言うとおり、『木漏れ日』は日本人独特の情緒あふれる言葉である。
多くの外国人は、小5の息子と同様に、日向と日陰の繰り返しが嫌いだそうだ。

しかし、これは感受性の違いではなく、言葉を知っているかどうかの違いである。

小5の息子も説明を受けたあと、「言おうとしていることはわかるけど、ちょっとキラキラしすぎて嫌じゃない?」

もう少し、感受性を育てる必要があるかもしれない。

 

古典は何のために勉強するの? 歴史は何のため? 美術は何のため? なぜ、本を読めというの?

 

知っている言葉を増やし、感受性を育てるためだと、わたしは思う。